2014年07月09日

どすこいライブをやるということ

1998年7月、始めるに際して、どすこいライブをやることの意味を、一生懸命書きました。
今見ると稚拙ですが、万感の思いがこもっています。小さな「まつりづくり」のスタートです。
記録のためにアップ。
199807どすこいライブをやるということ.jpg
199807どすこいライブをやるということ.pdf

どすこいライヴ をやるぞやるぞと言い出したには、言い出したなりの訳がある。クソ暑い七夕まつりのころに、真清田神社裏の土俵なんかで、素人ばかりが集まってライヴをやろうという、その訳だ。

七夕まつりで、僕らも僕らなりの遊びをしたいなあと、まず思った。自分たちの街で、自分たちが作る、自分たちのまつりを、自分たちで楽しみたいのだ。

場所は、この街の人が誰でも来られるような、いい所をずっと探していた。駅から歩いて行ける場所、説明しやすくて、お金がかからない場所。そんな気持ちで自転車を走らせていた二年前、あの土俵に出会った。(と言うか、再会した。)ゆれる葉っぱの向こうで、土俵は、たおやかな風情をしていた。しっとりと静かなその様子は、ずっと昔も、二年前も、今も変わらない。土俵は立派な屋根が乗り、一段高くなっていて、周りには芝生の観覧席がある。これはまるきり野外音楽堂ではないかと思ったのだ。土俵で音楽会なんて、結構、前代未聞ではないだろうか。

アコースティックな音楽が、土俵にはよく似合う。近くのお家に迷惑がかからないよう、小さい音の音楽しか できないのだけれど、土俵を見ればきっとわかってもらえる、あそこで演る音楽は、やっぱり、やさしい生の音楽だ。

準備作業は、素人が集まってやるのがいい。ドタドタしたやり方で構わない。むしろドタドタした感じが、あの のんびりした公園には似合うようでもある。そして何より、お金をかけたくない。色んな人に頭を下げて、スポンサーを見つけ、お金を集めて、業者を使ってやるのが多分賢い方法なのだろうけれど、でもそれは僕らの中に何も残してはいかない。僕らはここで恥をかいて、失敗もして、でも何とかライヴをまとめあげて、この街の中で、この街の人と一緒に、この街でしかできない、この街のおまつりをやりたいのだ。

ライヴが はねた夕暮れに、ビールをぐっと呷りながら、また来年もやろう、またここで楽しもうと言いあいたい。それには、誰にも余計にお金を使わせないことがとても大切だ。魂の自由さにあふれた小さなおまつり。お金をかけない中で、どんなことができるのかという、実験の場、楽しみの場、発見の場。僕らはそいつを、あの土俵の周りで手に入れたい。

出演する人には、音楽が上手な人も下手な人もいるに違いない。文化?的レベルで言えば、決して高度なものではない。しかし、高等で高価なものをパックで持ち込む事や、あるいは閉じた場所で内輪だけが味わったりすることよりも、ひょっとすると“どすこいライヴ”の方がブンカ的かもしれない。当たり前の生活の場であるこの街の、気にもかけなかったあの場所で、すぐ近所の彼・彼女が、何だか一生懸命歌っている。自分の街の、自分とよく似たあの人の演奏を見る事は、また別のイシズエを作りだすことになると信じたい。

このライヴを作り上げていく事は、この街の人と人との繋がりの中で、どうも薄ボンヤリしてしまっていたところを、もう一度何とかしてみようとする事のような気もする。
来年も、その次も、土俵で、あるいは他のところで、色々な人が、その人なりの小さなおまつりを、自分の背丈にあった形で繰り広げたらどんな素敵なことだろうと思う。この街に惚れ直す人だって、少しは増えるかもしれない。

そんな小さなおまつりの一つとして、何とか“どすこいライヴ”をやりたいぞと考えながら、生暖かい今年の一月に、本町通のアーケードを自転車で走り抜けて市役所へ向かった。土俵が使えるかどうかの相談を皮切りに、その日、今回の“どすこい”な活動は始まった。

途端に僕は、色々な人に出会い始め、あるいは土俵と同じように、色々な人と再会し始めたのだった。

98年夏 星野“放胆屋”博

posted by 星野博 at 11:59| ● どすこいライブ

ラブたな〜七夕まつりを愛する志民の会