復興を祈る短冊や折り鶴が隙間なく結び付けられたササが、岩手県遠野市の商店街に立ち並んだ。同市で8月5〜7日に開かれた「遠野七夕まつり」に、愛知県一宮市の人たちが贈った七夕飾りだ。
都市環境プランナー 谷口庄一
たにぐちしょういち
さん 48
岩手県遠野市の七夕まつりの写真を手にする谷口さん
復興を祈る短冊や折り鶴が隙間なく結び付けられたササが、岩手県遠野市の商店街に立ち並んだ。同市で8月5〜7日に開かれた「遠野七夕まつり」に、愛知県一宮市の人たちが贈った七夕飾りだ。
NPO団体「志民連いちのみや」(星野博理事長)の一員として、東日本大震災の発生直後から、自分たちで出来ることを模索していた。七夕飾りは、その成果の一つだ。
祭りの裏方も買って出た。内陸部にあり、震災の被害は比較的少なかった遠野市だが、その分、津波で被災した陸前高田や釜石などの復旧のための拠点や中継地の役割を果たしている。
「遠野の人は『自分たちは大丈夫だから』と、震災以来ずっと我慢してきた。しかし、疲れはたまっている。せめて七夕まつりは楽しんでもらいたい」。そんな思いから、7月29日と8月2日に、講師を務める東海工業専門学校(名古屋市)の学生5人を先発隊として遠野に送り出し、同5日には一宮市で募った20人の一般ボランティアとともにバスで現地入りした。
学生たちは、昼間は沿岸部の被災地に出向いてがれきの撤去、夜は宿舎のある遠野に戻って七夕まつりの準備とフル回転した。自らも、年配者の多い一般ボランティアとともに、祭り当日の交通整理や案内、露店の手伝いなどに当たった。
遠野市の七夕は、大規模な一宮七夕まつりとは比べものにならないほど小さな手作りの祭りだ。同時開催の「まぬけ節フェスティバル」では、さまざまな団体が趣向をこらした衣装で通りを練り歩く。市民がやすらぎ、楽しめるイベントに、少しでも力になれたことを誇りに思う。
阪神大震災に見舞われた兵庫県宝塚市に実家がある。発生の1週間後に神戸の惨状を目の当たりにし、大地震の悲惨さは体にしみ込んでいる。
「今後も遠野に足を運び、まちづくりの支援ができれば」と、口元を引き締めた。
(渡辺浩平)
(2011年8月28日 読売新聞)
2011年08月30日
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